西郷どんで盛り上がる鹿児島では、昨年「平成西郷星」と名付けた大島紬の新柄が考案されました。
大河ドラマの原作、林真理子さんの「西郷どん」にも登場しているこの星
由来となった西郷星とはどんな星だったのでしょうか?
一緒に見ていきましょう。
目次
西郷星とは
“西郷星(さいごうぼし)とは、明治10年(1877年)頃、西南戦争による世の混乱の中、西郷隆盛の死を悼む人々の間で流布した噂である。
この年、火星の大接近があり、最接近時の9月3日には距離5,630万km、光度-2.5等あまりにまで輝いていた。当時の庶民はこれが火星である事は知らず、「急に現われた異様に明るい星の赤い光の中に、陸軍大将の正装をした西郷隆盛の姿が見えた」という噂が流れ、西郷星と呼ばれて大騒ぎになった。
やがてこれに便乗し、西郷星を描いた錦絵が何種類も売り出されて人気を博した、とエドワード・モースの1877年9月8日の日記にも記されている。”
ここまでwikipediaより引用終わり
出典 wikipedia
とwikipediaに紹介されていますが、この時代情報の伝達が今ほど早くなかったので、西郷さんの生死が分からないうちから噂は流れていたようです。
この当時の火星大接近は一大事だったようです。
西郷どんの江戸での人気
西郷どんが、当時の江戸の民衆に人気だった1つは、江戸城の無血開城があったようです。
戦乱の続く中、江戸城は篤姫と西郷どんが話し合いの窓口となり、火の海になることも無く穏便に無血開城されました。
これは、そこに住む江戸の人々にとっても生活の場を失うこと無く、穏やかに移行できたという点で高く評価されたようです。
西郷星への期待
そんな江戸無血開城の立役者でもある西郷どんは、江戸の庶民にとって英雄的存在でした。
西南戦争の後、西郷どんの行方がはっきりとしない中、夜空に現れた大きな赤い星を西郷どんに重ねてきっと元気でいてくれると思いたかったのでしょう。
また、明治になったとはいえ新しい政府のもと、まだうまく機能していなかった体制を西郷どんならなんとか立て直してくれるのはではないかという期待も込めて、星にお祈りする人も多かったようです。
西郷星の錦絵
西郷どんが、星の中に現れたとの噂が飛び交う中、たくさんの錦絵が書かれそれを求める人で大人気となりました。
錦絵には、星の中に西郷どんが陸軍大将の服装をしたものが多く書かれたようです。そしてそれを望遠鏡で眺める人・祈る人も一緒に書かれていました。
今でも、たくさんの作品が図書館などに貴重な資料として保管されています。
大島紬の西郷星プロジェクト
2017年はパリ万博150周年記念の年でした。
鹿児島は、その当時伝統工芸品を紹介するために、薩摩切子や大島紬をパリ万博へ出展していたそうです。
150年後の昨年、その時のことをこれから先の100年後150年後の後世に引き継ぐために、何かできないかと考えて西郷隆盛の子孫の方をコーディネーターに迎えて大島紬に関わる皆さんが考案した新柄が「西郷星」という新柄です。
技術の粋を集めた繊細な柄を出すために、糸を作る段階からとても多くの苦労があったそうです。
プロジェクトがスタートした約半年後に「西郷星」の生地が完成しました。
そして、その「西郷星」の生地を持ちパリ万博の地で実際に現地の方にお披露目されました。
まとめ
2018年は、「大河ドラマ西郷どん」にあやかり、鹿児島はとても沸き立っています。
ドラマ館ができたり、関連商品が作られたりしています。
そんな中で、後継者不足に悩む伝統工芸品の分野でも新しい道を切りひらき進んでいけるように、色々な試みがされています。
鹿児島に行ったら、その土地ならでは工芸品もじっくり見てくださいね。