ユネスコの無形文化遺産にもなっている結城紬について

結城紬の材料

 

 

 

 

 

結城紬は、これからも後世に残していきたい日本伝統の手仕事です。
いくつもの工程を全て手作業で行う本場結城紬は、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。

結城紬の産地に住んでいるので、せっかくの機会なので特徴や歴史を調べて見ました。

結城紬

結城紬は日本三大紬の1つです。
茨城県結城市及びその周辺並びに栃木県小山市(旧絹村)及びその周辺で織られています。
元々養蚕が盛んな地域だったので、農閑期の副業として織られていました。

紬の特徴

紬は、繭を煮て柔らかくして広げ真綿にし、そこから手紡ぎで糸を作っていきます。
この為、ふんわりと柔らかくたくさんの空気を含むことが出来ます。
手紡ぎなので糸の太さは不揃いで、所々に節があるのが特徴です。

本場結城紬

 本場結城紬は、全ての工程を手作業で、行う伝統的な技法を継承している絹織物で国の重要無形民俗文化財やユネスコの無形文化遺産に登録されています。

 

 

縦糸横糸共に紡ぎ糸を使い、着物の柄となる絣模様は手くびりにより付けていきます。織りには経糸を腰で吊るしめばたと呼ばれる織機を用いています。

歴史

奈良時代(710年〜794年)から、「あしぎぬ」や「綾絹(あやぎぬ)」が織られていて、室町時代(1336年〜1573年)には領主の結城氏が室町幕府に紬を上納していたとされています。
江戸時代(1603年〜1868年)、領主の結城氏に代わって新しく領主となった伊那備前守が信濃の上田から織工をまねき、柳条(しま、縞)紬の技法を導入、以後「結城紬」と呼ばれるようになり、藩の特産品として幕府に献上されました。
江戸後期になると世の中の厳格な気風もうすれ、絹であっても紬の着用は庶民にもゆるされたため、献上品とされていた結城紬が、全国的に広く出回り、町人たちの間でおしゃれ着、外出着として着用されるようになりました。
幕末の慶応年間(1865~68)には、絣の技法も採用されて、さらにその名を知られるようになりました。
明治期(1868年〜1912年)になると縮(ちぢみ)も開発され、大正末期(1912年〜1926年)には細工物とよばれる、現在のような経緯絣が織られるようになりました。

材料

紬を1反織るのに必要な桑の葉は約90kgと蚕2000〜2500匹
蚕がそれぞれに作った繭玉2000〜2500個が必要です。
そこから真綿400枚を作り手紡ぎ糸700g を紡いでいきます。
そしてこれを1枚に織り上げます。

時間と共に育む風合い

紬の風合いは着込むほどに擦れて紬のケバが取れ艶が増してくるのが特徴です。
生地が身体に馴染みながら、長い時間をかけて特別な1枚の着物になっていきます。